「フェデリコ・フェリーニを偲んでリミニへ」

イタリアの名監督Federico Felliniフェデリコ・フェリーニが亡くなって今年で25年。生誕地リミニでは今夏フェリーニを偲んで様々な催しが企画されています。1920年1月20日フェリーニは、父は食品会社の代表、母は専業主婦という比較的裕福な商人の家に生まれました。リミニのグラマースクール(イタリア語ではliceo classicoという。通常は14歳~19歳の5年間通学する。)に通うようになりましたが、学校の勉強はあまり好きではなかったそうです。まもなく劇画漫画家の仕事を貰うようになり、1937年画家デモス・ボニーニと共同で工房“Febo”を立ち上げ、複数の雑誌や新聞の挿絵画家として活躍しました。1939年ローマに居を移し、芝居やラジオの世界に足繁く通ってラジオの脚本やギャグを書くようになりました。1943年フェリーニが書いたラジオ芝居でパッリーナ役を演じていたジュリエッタ・マシーナと知り合い、同年10月に結婚したのです。1939年には映画Gagman(マカリオ監督作品の複数の映画でも)でセリフを書く仕事をしていました。戦時中は脚本を書き、1952年初めて監督として「lo sceiccobianco」を撮りました。その後は日本でも良く知られた「La strada道」(1954年)でオスカーを取り、「Le notti di Cabiriaカビリアの夜」(1957年)で2度目のオスカーを得て、1959年「La dolce vita甘い生活」はカンヌ映画祭でパルム・ドールを受賞するなど、フェリーニはイタリア映画を代表する存在になり、彼の活躍期間はイタリア映画の黄金期とも言われています。今はすっかりアメリカ風になったチネチッタの黄金期を生きた監督の一人でした。

そのフェリーニ没後25年を記念して今夏のリミニはフェリーニ一色に染まっています。中でも面白い企画がフェリーニゆかりの地を巡るツアーです。彼が親しんだ場所や生家などを巡るということですが、観光客にとっては不慣れな場所であってもガイド付きで効率よくリミニの街を散策もできるので良いでしょう。(ルートに関しての詳細はhttp://www.riminiturismo.it/visitatori/scopri-il-territorio/itinerari-e-visite/itinerari-storici/itinerario-felliniano)また2020年には同地にフェリーニ博物館が開館予定という事で、どういう規模の博物館になるのか興味深いところです。

その他のリミニ市の催しに関してはhttp://www.riminiturismo.it/(英語可)でチェックしてくださいね。