「リーノ・ガエターノの死を悼んで」

40年前の1981年6月2日、シンガーソングライターのリーノ・ガエターノがローマの交通事故で亡くなりました。享年31歳、若すぎる死でした。
リーノ・ガエターノことサルヴァトーレ・アントニオ・ガエターノは1950年85月29日カラブリア州クロトーネで生まれ、両親の仕事の関係で10歳の時ローマに引越しましたがウンブリア州ナルニの神学校に入れられて家族から離れた生活になりました。後年、同行の神父で教師のレナート・シメーニは「(ガエターノのことを)内に閉じこもりがちで、とても夢見がちな少年だった」と書いています。
1967年ローマに戻り、翌年には友達3人とグループを結成して音楽活動を始めました。イタリアの曲以外にビートルズやボブ・ディランなど英語の曲を歌っていました。ガエターノの担当はエレクトリックベースでした。次第に演劇界に興味を持ち、やフォークスタジオやキャバレーに顔を見せるようになり、役者として参加するようになりました。
ガエターノは会計士の学校を卒業したので、家庭の経済事情から父親は彼を銀行に勤めさせようとしたのですが、父親を説得してあと1年だけ音楽活動を続けることになりました。1972年ガエターノはSIAE(イタリア作家・出版社協会)に加入して、同ねん最初のシングル曲「I love you Maryanna」を録音しました。ガエターノは音程の正しい美しい声の持ち主ではなかったので当初は自分の曲を歌うのに戸惑っていたようですが、最初の曲の録音の時「彼の曲は、彼の魂が歌うべき」と周囲が認めたということです。
こうして始まった音楽生活、1974年最初のアルバム「Ingresso libero」から始まって1981年に事故死するまで7のアルバムを発表するなど、才能豊かで多産でした。代表曲として以下の6曲があります:「Gianna」(1978)、「Ma il cielo è sempre più blu」(1975)、「Mio fratello è figlio unico」(1976)、「Aida」(1977)、「Nuntereggae più」(1978)、「Io ci sto」(1980)
前述のようにガエターノはローマの家に帰宅途中、車線を越えて反対側に飛び出し向かいから来たトラックと正面衝突をしました。居眠り運転だったと言われています。事故直後、意識不明の重体の彼は最初に搬送された病院、ウンベルト1世総合病院で多数の骨折が認められたものの、緊急手術ができなかったためジェメッリ病院に送られましたが6日の朝亡くなりました。ガエターノの死の9年前、ローマの病院3カ所で拒否され墓地にまで拒否されたある男の悲惨な物語を歌にした曲「La ballata di Renzo」を発表しているのですが、曲中に出てくる病院とガエターノが搬送された2つの病院名が一致しているので、“ガエターノは自分の未来を予言していた!”と今でも一種の都市伝説になっています。
都市伝説はともかく、今聞いてもガエターノの曲は瑞々しくて年若くして亡くなったのは本当に残念です。皆様もぜひ一度彼の曲を聴いてみてください。

ガエターノのお勧め動画:
Sfiorivano le viole https://www.youtube.com/watch?v=Ao7dU-KCjJs
Gianna https://www.youtube.com/watch?v=xq15uX6abXs
Aida https://www.youtube.com/watch?v=eQWh1eh0Bhs
Nuntereggae più https://www.youtube.com/watch?v=Box75n10_Y0
Ma il cielo è sempre più blu https://www.youtube.com/watch?v=G8ioOG-PaxQ
                           
                               (唐木麻美)